あらためて「ペイルライダー」を見返したのでちょっとまとめておきます。
というのが、イーストウッドの西部劇の有名な作品はだいたい観ていたのですが、「許されざる者」以外はかなり昔に観ていて、見返していなかったので、あらためて見直しているんです。
だいぶ忘れているところもありましたし、あれ、こういう話だったのかという気付きもあり、当時のパンフレットとかもできるだけ入手して眺めてます、最近。
公開の頃
「ペイルライダー」は公開が1985年です。「バック・トゥ・ザ・フューチャー」がたしか1985年の公開ですね。「ターミネーター」も日本での公開は1985年ですから、そういう時代です。
イーストウッドの作品で言うと、前年1984年に「タイトロープ」「シティヒート」、そして次の都市1986年に「ハートブレイク・リッジ」があります。
で、イーストウッドの西部劇だけで言うと、「ペイルライダー」の前が、だいぶ遡って1976年の「アウトロー」です。で、「ペイルライダー」の次の西部劇がもう1992年の「許されざる者」になります。イーストウッドにとってはこれがもうラスト・ウェスタンですね。
だからクリント・イーストウッドといえば、西部劇をずっと撮り続けていた、というイメージがありますが、意外と「ペイルライダー」のころは7年とか8年とか開いて作られていたんですね。
で、パンフレットを見てみたんですが、「ペイルライダー」は公開当時かなり絶賛されていて、その年のカンヌ国際映画祭監督週間に出品されて大好評を博し、全米でも熱狂的な支持を受け、公開わずか10日間で52億円をあげる超ヒットとなった・・・、といろいろあります。
成長を懐かしむ
ではこの大絶賛の理由を考えていこうと思ったんですが、自分が思うに「ペイルライダー」という作品って今回のテーマにしておきながら、難しく批評とかすべき作品ではないと思うんです。
すごい軽い作品だと思うんです。これは悪い意味じゃなくて、娯楽としてただ楽しめばいい、そういう作品です。聖書になぞらえてあるとかいう要素も作中にあるんですが、「許されざる者」とか最近のイーストウッド映画を観てしまっていたら、「ペイルライダー」は正直軽い作品に感じらてしまいます。
おそらく、当時の観られ方と今の観られ方はだいぶ違ってると思うんです。「ペイルライダー」を見て真っ先に思った感想が、イーストウッドってここからものすごい信じられないほど成長したな、ということでしょう。
まるで別人の監督作品ですから。おそらく今のイーストウッドだと「ペイルライダー」にはとうてい満足しないと思いますね。
でも、これはこのときのイーストウッドの全力ではあったんですね。なにか若いという印象があります。確かに「ペイルライダー」を見直したら「若いな」と思いました。風貌もです。まあ50台半ばのころですが。
確かにこの時のイーストウッドは決して老人ではないでしょう。「許されざる者」は違います。「許されざる者」はイーストウッドは老人であったし、老いていることが重要で、不可欠でしたね。相応の年齢になるのを待ってたというくらいですし。
だから「ペイルライダー」で少女に愛を告白されるのも、このときだと不自然とはなっていない。もしかしたら、恋愛ざたの設定に無理がなかったのはこの作品がギリギリだったのかもしれません。
以降「マディソン郡」は当然ですが、「ブラッドワーク」も「シークレットサービス」も恋愛要素はありましたが、無理があったと思います。さすがに老いすぎていました。
撮影についてだと、いわゆるベタなシーンが多いんです。これも若いんです。マンガ的な、とすら言ってよい臭さがあります。少女が聖書の一節を述べているときにイーストウッド演じる主人公が重なるように姿を現します。
中二的といってもいいと思います。荒くれものかと思われたと思いきや、牧師の姿で登場します。今作の仇は凄腕の保安官ですが、過去にこの男といわくがあった、という口ぶりもベタでしょう。
この、悪役のストックバーンという保安官ですが、主人公とこの男とのいわく、因縁が作中で描かれてないことについては、これで良かったと思います。過去になにかあった、それが暗示されてればよくて。
そこを過去まで掘り下げると3時間くらいの作品になっていたでしょう。セルジオ・レオーネの「ウエスタン」にそれこそなってしまいます。
このストックバーンを演じた俳優の顔はいいですね。レオーネ監督の「ウエスタン」で思い出すんですが、この保安官が連れて回っている6人の「助手」、彼らが明らかに「ウエスタン」のシャイアン率いるコートの男たちのオマージュになっています。
「ペイルライダー」はもっと考察したいですね。批評とかじゃなくて。好きな作品なんですよ。野蛮さが無いと思います。
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