映画「ロッキー」シリーズ。最高峰1作目に挑んだ「ザ・ファイナル」の奇跡。

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スタローンの「ロッキー」シリーズ観たんだけど。

「ロッキー」はシリーズ「1」~「5」と6作目に「ロッキー・ザ・ファイナル」ってあるんよ。

この「ファイナル」だけだいぶ間が開いて作られてるんだけど。

「1」と「ファイナル」が評価高いんやね。

作るごとに評価がさがった「ロッキー」シリーズ。

「1」~「5」まではまあ続き物で、その都度、前の作品を受けてつくられたストーリーになってます。

「ロッキー」の1作目は、アカデミー賞を獲った、名作中の名作。

カメ
カメ

名作だよね。

ざっと言うと、「1」はロッキーと恋人エイドリアンの話。

で「2」は、「1」で戦って判定勝ちだったチャンピオンのアポロが再戦を申し込んできて、もう一回戦って倒すんよ。

カメ
カメ

めっちゃネタバレしてるじゃん。

「3」はずーっとチャンピオンとして勝ち続けているロッキーが、新たな若手チャンピオンと戦う話。

「4」だけちょっと異色で、ソ連まで行って、アポロを倒したドラコって奴をやっつける話。

で「5」が、これがえらく評価が低いんだけど、もうけっこう年取ったロッキーが、自分の育てた弟子と戦うっていう展開になる話なんよ。

「ロッキー」シリーズってスタローン自身が脚本書いてるんだけど、シリーズ重ねるごとにマンネリになって、評価下がっていくんよ。

でもこれもともとボクシング映画のシリーズなんてストーリーだいだい決まってるんよね。

だいたい勝って終わる、ライバル出てきて、みたいな筋の変えようないじゃん。

それだから2、3、4、5は状況が違ってるだけで、「続編をつくるための続編」だから、筋にキャラクターの感情を合わせなきゃいけない分、不自然になっちゃってるところもある。

アポロとかエイドリアンとかロッキー自身もなんか行動の動機が、見てて「えっ、むりやりやん!」って感じるとこあるし。

でもスタローンがロッキー、エイドリアン、アポロ、ポーリー、ミッキーっていうお馴染みのキャストを尊重して、このメンバーで続編を重ねていったっていうんは好感もてるんよね。

「ロッキー・ザ・ファイナル」

まず、うれしいのが、画面が新しいんよ。今「ロッキー」シリーズ見直したら最初のほうのやつとか絵が古いじゃん。70年代とか80年代のやつだから。

いわゆる昔の映画ならではって感じの画質。

それが「ザ・ファイナル」はもう2006年のやつだから、もう完全に最近の現代の映画になっちゃってるんよ。

これがすごい良かった。普通に今の映画としてストーリーを追えるっていう。

カメ
カメ

その浅い見方、好きだよ。

で、そのストーリーが良かったんよ。奥さんのエイドリアンが亡くなって、けっこう哀愁ただよった、ノスタルジーな感じなんよ、作品全体が。ロッキーって純やんか。

シリーズ全部に出てたエイドリアンがいきなり亡くなってたからマジ?ってなったんだけど、これも作品の効果を考えたら必然なんよね。

これね、DVDかブルーレイだと、特典でスタローン自身による音声解説が聴けるんだけど、これね、めっちゃいいんよ。

スタローン好感持てた。渋いね。これスタローン見直すね。どれだけ下に見てたんってなるよ。

なんか肉体派の、片意地張ったどんどん良くない作品つくってる落ち目な俳優やと思ってたんよ。

カメ
カメ

それは下に見すぎだけど。

でもすごい(まあ考えれば当然だったんだけど)、映画作りにこだわってて。

使用するレンズとか照明とかも的確に指示したり、他の演者にわかりやすく演技指導したりとか、めっちゃちゃんとしてるんよ。

ボクシングの試合も時代に合わせて、派手な殴り合いをもっと今風にソフトにしたりとかリアリティ出してんのよ。

考えてみたら監督、脚本、主演全部自分でやってるんだからイーストウッドよりすごいんじゃね?って。

カメ
カメ

イーストウッドよりはすごくないでしょ。

そういえば「ロッキー」の1作目って・・・。

あとこれ気づいたんだけど。これあんまり他のひと言ってないと思うんだけど。

「ロッキー」の1作目でさ、なんか「勝てなくてもいい」みたいなノリあったじゃん?

あれ最初に見たとき印象でちょっと意外だったんよね。ボクシングの映画とかドラマで、勝てんでもいいやって言って突き進んでいくの珍しいと思うんよ。

エイドリアンにも「最後のラウンドまで立ってられたら自分はゴロツキじゃないと証明できる」みたいに言ってるじゃん。

やっぱきっぱり「勝ち」じゃなくてもいいって言ってるんよ。これ、だから後ろ向きだけど、でも物語としてはそれで正当化されてたじゃん。

だから最後判定負けでも「勝ち負けは関係ない!」って言ってたしね。

あれってめっちゃ重要で。あれが最初の「ロッキー」1作目が成功した秘訣なんよ。

あのなんか後ろ向きな、負け犬だったわけじゃん。で、「機会(チャンス)」が得られたんよ。もうその時点で勝てなくてもいいって、チャンスそのものが尊いものと挑戦できる喜びが感じられたんよね。

だから「ありがとう」の映画だったわけ。

これ「ザ・ファイナル」見てて思い出したことだったんよ。

でもね、シリーズの「2」から「5」ってもうストーリー的に勝ってなきゃダメな流れだったんよね。

1作目に挑戦した「ザ・ファイナル」。

たぶんスタローンは「ザ・ファイナル」をつくるにあたってそうとう「1」を意識してたんよ。

シリーズで実際成功してるんって「1」だけだしね。

で「1」の奇跡をもう一回起こそうってなったとき、「ロッキー」の本質に帰らなきゃいけないんだけど。

そうなると絶対欠かしちゃいけない要素が2つあります。

それが「全体を覆う哀愁」、そして「最後は判定負け」という条件なわけ。

だからとことん後ろ向きなノスタルじじいになるために、最初エイドリアンも死んだことにして思い出巡りがずーっと描かれるわけやん。

で、試合の結末についてはこれ勝つバージョンと敗けるバージョン両方を撮ってたんだけど、実はほんとの山場、盛り上がるピークを勝ち名のる結果じゃなくて、ダウンしたところから踏ん張って立ち上がるところにしたんよね。「1」でテーマ曲が流れるタイミングも、ぶっ飛ばされ倒れる瞬間やったやん。

ダウンして、それでも立ち上がるっていう。「ザ・ファイナル」でもダウンするところで、こう踏ん張ってかっこよく相手をにらむ瞬間あるじゃん。

あそこをピークにつくってるよね。

エネルギー満タンだったのかスタローン。

「ロッキー・ザ・ファイナル」がうまくいったのって、どこからかふっと出来てきたストーリーなんよね、前作を受けての続編とは違った。

たぶんスタローンが本当に撮りたかった世界観やったんよ。

前作「5」から16年も開いてるし。もうこまごまとした状況とかリセットされちゃってて。

ロッキーがパンチドランカーになりかけてた、とかもう無かったことにされてるやん。

それに16年間のあいだにスタローンのエネルギーが満タンになってたんじゃない?

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