クリント イーストウッド「トゥルークライム」。死刑が迫る冤罪の男を救えるか。事件の真相とは。

イーストウッド映画の風景写真 映画
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タイムリミットの画像

今、ひとりの男が殺されようとしている、無実の罪で死刑に・・・。殺されるのは今夜、0時。もう12時間を切っている。

そこで立ち上がった(何も知らずに立ち上がらされた)新聞記者、イーストウッド演じるエベレット。エロいです。真相に迫っていくことに。

彼を、死の運命を待つ冤罪の男を解放できるのか。クリントイーストウッド、よくも悪くも現実性の男です・・・。

ファンタジーではなく、サスペンス刑事の名のもとこだわりを持ち続けたこの長身の男。空条承太郎のモデルになった人。

マンガのような「ウソやろ」ストーリーだが、それを覆うのがうっとおしく人間を虚脱させる家族関係のしがらみ、女関係、上司との関係です。

これこそエネルギーを奪う90年代の罠です。そしてクリスマスが訪れる・・・。「トゥルークライム」。1999年の、クリントイーストウッド作品です。

クリントイーストウッド、死刑執行モノに挑むが・・・。

アメリカって厳しいのか。製作費が興行収入を上回ってないです。残念。収入が製作費の半分にもいってないって・・・。

ちなみにイーストウッドの妻もこの作品に出ていて、なんと娘も出演していて。(ケガをさせてしまった娘も(演技上です)本当に自身の娘だったんですね。)

これは1999年の映画だから「許されざる者」よりだいぶ後になります。「ミスティックリバー」よりは前で。これね、芸術的観点からいえば、割り切ってつくられました。

「許されざる者」はアカデミー賞とるような文学的な、超高級な話だったわけで。その後に撮ってるけど、もう娯楽サスペンスものとしてこの「トゥルークライム」はつくられてる模様。

マンガ、というか時代劇みたいなうまくいきすぎのストーリー展開。でも、それが成り立つ空気感みたいなものを再提示できてます。

黒人が死刑囚でホントは無実。それを白人が助けるというありきたりの倫理バランス。大成功の予感。(ただこの本筋は、密度としてはストーリーの面積の半分以下なんですが・・・。)

このあたたかい涙ながらの関係と、エベレット(イーストウッド)のうまくいってない妻、家族との関係が対比されて描かれていて。

女あそびのせいで本当の妻との関係は崩壊し、しかも美人ではないのか?泣きわめく娘もいる。あたふた、あたふたするイーストウッド。すごいストレス・・・。なんか悲しくなります。俺らのイーストウッドが・・・。

その、映画の一般的表象をおおった虚脱感の中で、対比される黒人死刑囚の家族とのやりとり。こういうところにさしこむ光。やさしい刑務官、好感の持てる所長。こちらの方がよほどすっきりし、ほっとします。

「トゥルークライム」のサスペンスの正体。

イーストウッドはかつて馬にまたがってつば広の帽子を、ハットをかぶり。黒目を細目にして魔法の騎士のごとく下を見下ろす。クリントイーストウッドが、しかし90年代間違った背景の中におどりでました。

イーストウッド演じるエベレットは単に真相を暴くたたかいをするだけではなく、そのラインに立つまでの社会的犠牲がふんだんにあります。

環境がさっと進ませてくれない。〈仕事〉というムード、アメリカのうっとうしいくらい息がつまる人間関係。時間をとられるジョークのやり合い。

たぶん日本人が歯がゆいのは、時間的な切迫が迫っているにもかかわらずこのアメリカンな言い合い、やり取りです。上司のオフィスに呼び出され、弁解するも薄ら笑い。

見事なほどのげんなりする仕事環境の現実性。ゴールまでたどり着けるのか?たどり着こうとしているのか?という虚脱感です。その中で耳を通りぬかせて一本の線をたどっていくイーストウッド。

超人。アメリカのこうした80年代、90年代の仕事人というのは、超越した人でなければ仕事を貫徹させられません。

爆発しそうなストレスの中。それでもイーストウッドは電話をかけまくる・・・。様々な関係者と面談し、問い詰めます。一心不乱に仕事人。

バリバリ仕事はできる人なんですね。仕事に通う血、みたいなのがあって。それにあわてさせられ、せかされて判断し、直観がほとばしるのです。

イーストウッド、90年代から2000年代へ。

これ以降なのか?年齢を受け入れ、ほがらかなイーストウッドが全面に出てくるようになったのは。顔面コンディションも、若い時からけっこうマチマチなイーストウッドだったのですが。

このときが年齢を、ヨワイを受け入れる寸前だったんじゃないかと。女性とのやりとり、カラミもあまりにもムチャ、不自然・・・。

女たらしを演じてるけど、甘いマスクというたらし方。しかしこれはどうだろう。にこにこすると、おじいちゃんになってしまうのです。

冒頭、同僚で年下の女性記者とイチャつくそのときも、本当は似合っていないわけだ。ムリしていなかったか。

いかようにも、年代がずれている。髪が薄くなり、白髪。まあグレーの銀髪のようになっていますけど、顔も赤い。(ただ、顔つきはかわいいです。)

もともと、90年代の作品です。90年代ってね、おかしな作品が多い(イーストウッド映画に限ってない)。映像が、ただただ汚いだけになっていく。これが「80年代」というとイナタイ風景、画質も含めて一個の〈ジャンル〉だったのだけど・・・。。

イーストウッドは内面的にも外面的にもこのとき過渡期で。時代と自分の思惑に抜きつ抜かれつも、2000年代に突入しました。

「ミスティックリバー」では出演をしなかったイーストウッド。より一歩引く男と化す・・・。一番ギャップがありましたね。こののち数年間の間でのこの作風の変化。

まとめ:お得だった特典映像。

イーストウッドの信頼感がえぐかった。特典の映像にてその仕事がべた褒めされているイーストウッド。俳優仲間、映画人のなかで絶大なる信頼を得ています。

「イーストウッドの映画なら、裸で火の中へ飛び込むこともできる」とモーガン・フリーマンが言ったらしい。これはすぐ世界名言集におさまったと思う。

それほどの大切な信頼感があったのだ。「許されざる者」を撮ったからではありません。もう昔から、イーストウッドは特別でした。その態度と経歴によって。

ガンと言わせぬ物腰によってみんなに惚れられし男。

(まだ見てないけど最近「ジュエル」とかいう作品を撮ったんだよね。なんか物議かもしてましたね・・・。イーストウッド・・・。)

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