クリントイーストウッド、「ブラッド・ワーク」。事件の犯人の衝撃の動機とは。はよ気づけ!

イーストウッド映画の風景写真 映画
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ヨットハーバーの写真

このクリントイーストウッド監督、主演「ブラッド・ワーク」。2002年の作品です。

タイトルが良いです。ちょうどよいダサさ。原作となった小説のタイトルがそのまま「Blood work」なんですね。そうなんだけども、やっぱりタイトルの意味の反響、〈象徴〉があるのですね。

それがまず、体のなかで動き続けているこの心臓の鼓動という現実。そこに流れる血。

そして頭で理解しているのに、理屈に反しているのに、やらざるをえない仕事。この使命感。

そしてやはりこの作品のストーリー自体が、はじめから血塗られた結末に終わることを運命づけられています。

ストーリーのカギは心臓移植。最大の関係者は自分自身。

あいかわらず今は第一線から身を引いた元伝説の男、イーストウッド。今作では元FBI捜査官のマッケーレブを演じます。

カメ
カメ

おい、マッケーレブ!

・・・と呼ばれます。凄腕なんですが。

追っていた事件のアクシデントをきっかけに仕事は引退してるんです・・・。しかし今回ひょんなことから(美人さんに)依頼され、探偵の役回りをすることに。

しかし2年前に倒れてなんと心臓移植を受けており、出だしからなんかボロボロ満身創痍・・・。それでも依頼された捜査を続けていくうちに、この事件が自分自身の物語だということを知っていきます。

この作品の佳境は、捜査の中でいくたびも見られ、たいしたことないなとみなされていた犯行映像が恐ろしい真実をかくしていた・・・。それが明らかになるところなんです。

推理もの、あとタイムトラベルものとかもなんですが、記憶とこうした事実が重なるとき人はゾッとするんです。何気なく、くり返し見てきたものであるほど。キャー。

サスペンスものの、伏線の回収されるストーリーの「巧みさ」・・・。特に殺人が絡むと、殺人犯の心理、動機がそこに隠されてるんですね。

真相が判明する際の衝撃は驚きというより恐怖となる・・・。実際この「ブラッド・ワーク」のショックの焦点、エッセンスは真犯人の正体ではなく動機なんです・・・。

だから本来はドンデン返しである犯人の正体よりも、クライマックスは謎解きの捜査そのもの、徐々に事件の真相へと近づく伏線の回収そのものとなります。

イーストウッドのサイコ・サスペンス、全然見れる。

前に見た「トゥルークライム」(99年)よりよっぽど「見やすい」作品です。サイコ・サスペンスというおっかない「なんだかな」うたい文句・・・。

今やサイコ・サスペンスに対してのわたしたちの感受性は飽和状態・・・。こんなのではあまいあまいです。よほど怖いことになってる作品が多々あります。

しかしサイコはサイコ。血によるメッセージが犯行現場に残される「セブン」。それにしてものっぺりした大きな文字でのたつきながら壁に血文字を残す犯人の野郎め。

この書きなぐってる時間を想像してると耐えきれそうにないのですが。こういうシーンが多いアメリカ映画・・・。やっぱり日本人からすると非現実。こちらそういう土壌じゃないですものね。

犯行現場のこういう血のむわっと漂うにおい。冒頭ここから始まる刑事モノ、「ブラッド・ワーク」。そう、これは結局刑事モノです。

日本の2時間サスペンスのような体裁、構成をしており、これが一番見やすいのです。ストーリーテラーとしてのイーストウッド監督のセンス。

「トゥルークライム」もそうだったけど、死刑執行、今作だとサイコ連続殺人というアイデアを取り入れつつも、刑事モノの構成で幅広い視聴者層に向けてます。

だから娯楽作品です。これは脚本家のセンスだけどこの脚本をえらぶのはイーストウッドですよね。

実際はイーストウッド演じるマッケーレブは捜査官を引退してて・・・。また「トゥルークライム」は新聞記者でした。それでも刑事と変わらぬスタンスで立ち回ります。

このあたりを違法だと突っ込まれもするのですけど。実力と経歴、なによりイーストウッドの演じてきた数々の刑事、捜査官のイメージのため非現実感を抱かせないまま突き進む・・・。

クリントイーストウッドの演技の価値。

イーストウッドの演技良いですよ・・・。あまり俳優としての実力についてはいわれてませんし、もともと西部劇とバイオレンスの幅の狭い役柄と思わせておいて。

イーストウッドのこの声と、この顔つき。あまりにも唯一無二のこの要素が非現実的なシーンでもある程度リアリティを出してて、おかしく感じないんですね。実はイーストウッドの演技に救われる脚本って多いのです。

今日の、完全にファンタジックな映画の主流ではない、あくまでリアリスティックな世界観の中で特殊な運命を描くイーストウッドの映画。

その中でこのイーストウッドの演技自体が絶妙のリアリティの境界なんですね。素朴で不器用、そうありつつも絶妙な非現実さをまとう顔。そして声。

だからこそ、最後の犯人との銃撃戦や追跡劇のような大立ち回りに時間を長くとったのはこの作品の弱点・・・。蛇足の部分です。(しかしイーストウッドの最後の弱点だったこれも以降は消滅しました。)

ただ、イーストウッドは自分の出演する際のヒロインとのラブシーンを削る気は絶対ないようです。

勝手な小ネタ集。

この作品は舞台が洗練された街で、ヨットハーバーがあったりして景色も素敵なんです。イーストウッド演じるマッケーレブもクルーザーの中で優雅に暮らしてたりするんですよ。

地味な注意だと、現在の事件と過去の事件とは関連しており、しかも冒頭のシーンからの切り替わりしても2年しかあいてないんですよね。

関連人物も見た目変わらないため、「それから2年後・・・」を見逃すとストーリーの前後関係混乱してしまいます。注意。

ヒスパニック、ラテン系の役者が多く出演し、これがストーリーにリアリティを出す重要なファクターなのですが。違う人種同士のちょっとしたやりとりの含み、そういうユーモアが日本人には感じきれません。

けっこうこのあたり綿密に設定してつくってるようで、特典映像で裏話も聞けます。

まとめ:完成したイーストウッドの苔むす照明。

この作品から、画面がイーストウッド作品の画面になってることにお気づきか・・・。

カメ
カメ

はい?

今のクリントイーストウッド作品といえばもうブランドとして確立されてますね。画面が独特の光、色調を持ってるんですよね。

あの深い緑色の色調。モスグリーンの高級な、苔むした照明です。これ、「トゥルークライム」のころはまだできてなかったんです。

今のイーストウッドの映画はみんなこの光のもとで撮られています。漫画家の絵柄みたいなものですね。作家独自のものです。

監督ならもならもってなきゃならないものでした。でもこれまでイーストウッドって結構あいまいでした。(ストーリー面のこだわりは昔からありましたが。)

それがこの「ブラッド・ワーク」という作品で確立されたということ・・・。目指すべき映像面での焦点が合ってきたんです。この点だけでも今作は重要で。

これにより重厚な作品である「ミスティックリバー」を撮るに耐える映像環境ができました。つぎの「ミスティックリバー」はもう完全に現在と変わらない「イーストウッド映画」の苔むした照明のもとでつくられてます。

イーストウッド関連の本はたくさん出てますがまずこの1冊。

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