イーストウッド監督「真夜中のサバナ」。時代に逆行した怪作。絵の下の謎は謎のままに。

イーストウッド映画の風景写真 映画
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サバナの風景

クリント・イーストウッド監督「真夜中のサバナ」はアメリカの南部、ジョージア州にあるサバナという街を舞台とした映画です。

はじめ、アフリカのサバナ(サバンナ)のことだと思っちゃってました。勘違いでした。DVDのパケの色合いと、黒人の俳優とかフィーチャーされてたものですから。

サバナという街(都市)を私たち日本人はほとんど知らないわけです。アメリカの中では何やら歴史的にも重要な街だということ。街の規模も大きくて、観光都市です。

「マディソン郡の橋」と同じく大ヒットした小説を映画化したんです。イーストウッドって硬派なイメージだけど意外にヒットした小説の映画って多いのか。「ミスティックリバー」もそうですし。

ただ「真夜中のサバナ」は実在の事件をもとにしたノンフィクションということです。1997年イーストウッド監督作品。90年代のイーストウッド作品の中ではマイナーです。手に取らない人のほうが多いです。でもあえて。

「真夜中のサバナ」にジャンルはない。

ニューヨークからやってきた旅行ライターである主人公が、アメリカ南部の都市サバナを訪れます。ここで街の富豪がひらくクリスマスパーティーの取材をしに来たわけです。

この二人の出会いから物語は始まります。主人公のライター、ジョン・ケルソーをジョン・キューザックが演じます。富豪で古物商のジム・ウィリアムズをケビン・スペイシーが演じます。

ジョン・キューザックはいつも「ほえー」と抜けた表情をしてます。個性がないようなあるような。この顔で覚えちゃってます。

自分がジーン・ハックマンが好きで観た「ニューオーリンズ・トライアル」という映画でもキューザックは主人公でした。「ほえー」という感じでした。

ケビン・スペイシーは、「セブン」のあの殺人犯がじつはこの人だったとは。こちらでは髪もあり、ひげもたくわえた社交界のおじ様ですが。この人いま実生活のことで評価だだ下がりになっちゃってます・・・。

この映画はジャンルがわからないんですよ。ジャンルに縛られないことを狙っているというか、前半と後半で映画のスタイルが変わってるんです。

主人公が訪れた普段の日常とは全く異なった雰囲気の街で、殺人が起こります。中盤からはこの事件の法廷ドラマになります。

主人公のライターからすれば、取材で訪ねた相手(富豪)その人が殺人の被告人となってしまったわけです。主人公は急遽、探偵役をかって出ることになりました。

とにかくおかしな都市、サバナ。

この映画は、一筋縄ではいきません。その原因はいろいろあるのでしょうが。イーストウッド作品のファンでも、この作品はきっと通好みです。

作品の評価自体は低くはないんですが。えてして一定数の観客は映画に入り込むのに苦労するか、はじき飛ばされちゃいます。

舞台となっているサバナという都市が、日本人にとってはなじみがないですもんね。そしてそれは、ニューヨークから取材に来た主人公ジョンにとってもそうなんです。

とにかく外から来た人は面喰らってしまう、異質な空気をもった都市です。また「クリスマスパーティーの取材をする」という目的もなんだか現実離れしてます。

サバナの住人達にも面喰らいます。この点は観客と主人公とは同調してます。イーストウッドは、ジョン・キューザックの演技がうまく観客をこの世界に誘導してくれたと賞賛しています。

死んだ架空の犬を首輪だけで散歩させている男。アブを頭のまわりにまとわせ、毒の入ったビンを隠している男。彼らはこの都市のマスコットキャラクターです。イカれているが放任されています。

なにより重要なのは、街の人々の異質さです。パーティーのおこなわれる屋敷だけでなく、普段の昼間の日常も社交界のように振る舞います。

そのせいか、街全体がウソのように感じられます。・・・あとぜひ言っておきたいことが。それは主人公に嫌な感情を抱かせるキャラクターがいないということです。

南部の閉じた街にニューヨークから若いライターが名士の取材にやってきて、パーティーをうろうろします。その後は事件の捜査もしますし。でも突っかかってくる人は一人もいません。

実は一人だけいるのですが、この人物は街の他の人たちからも敬遠されていることが後から明らかになってきます。

街の人みんなが(主人公ジョン・ケルシーが関わる限りは)一定の洗練された、ウィットのあるやり取りをしてくれます。可愛がられるというか。

主人公はみるみるこの街「サバナ」に魅了され、染まっていきます。ロマンスの関係になる女性も出てきます。イーストウッド監督の娘が演じたマンディです。

非現実感をねらったイーストウッド監督の挑戦。

この作品は90年代前半の「許されざる者」「パーフェクトワールド」「マディソン郡の橋」のような重い、芸術的な作品性が薄れています。

いや芸術性はありますが、「前衛的」とかいわれるやつになります。「真夜中のサバナ」を見たとき、時代に逆行したような安ピカな印象をまず受けました。

これは舞台設定がそうだから仕方がないのですが、この点で敬遠されるのは気の毒です。特にジャック・N・グリーンの撮った画がいかにも街のつくりもののような奇抜さを強調します。

(これがトム・スターンの暗い映像だったらまた別のもの、ミステリー色が濃いものになっていました。)

なんでもない花屋のシーンですら、その室内の背景の白さが観客を息苦しくさせます。まるでSF小説のような非現実性です。実際、街全体に別の倫理が働いているようです。

そしてこれが問題なんです。殺人や同性愛、裁判などの事件に対する観客の感覚がマヒしてしまうんですね。

それが物語の中心的事件なのに、そんな事件起きて当然だという雰囲気が街に満ちているんです。

街の住人みんなが刹那的になる準備ができている、というわけではありません。ただサバナには、あまりの変わり者をも受け入れている日常がすでにあるんです。

これは、事件の被告となったジム・ウィリアムズにも言えます。彼は裁かれつつある中でも、どこか真剣味がありません。

罪は、街の人みんなにあるんです。変わり者を笑って余裕みたく受け入れてても、実はうわべだけです。

同性愛の要素などは結局非難の的となり、ジムは親しかったパーティーの客から距離をおかれます。

まとめ:謎は謎のままに。

「真夜中のサバナ」という題名はなんなのでしょうか。作中で特に夜中が映し出されるのは、ブードゥー教の呪術師の老婆ミネルバと主人公たちが出会うシーンです。

実はこの老婆のいう夜の時間に関する言い伝えの中に、この物語のメッセージが暗示してあります。

もう一つは映画の最初と最後に出てきて、DVDのパケにも描かれている少女の石像。両手に皿を持ったちょっと不気味なこの少女像。

物語のなかでこの像についての言及はありませんが、この像こそ物語のテーマを象徴しています。

両方の手に心理(謎)を持ったまま、「さあどうするの?」とこちらにたずねてくる・・・そんな映画です。

この怪作を撮ったのはこの人です。

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