1990年のクリント・イーストウッド監督作品「ホワイトハンター・ブラックハート」です。これはアフリカを舞台とした映画です。
古典映画に有名な「アフリカの女王」ってあるんですが。ハンフリー・ボガートとキャサリン・ヘプバーンが出演。1951年の作品です(アメリカ・イギリス合作)。
この「アメリカ女王」を監督したのがジョン・ヒューストンという人で、「ホワイトハンター・ブラックハート」はこの撮影時のヒューストン監督をモデルにした映画なんです。
イーストウッドが演じた伝説的映画監督の妄念。
ジョン・ヒューストンはハリウッドの監督の中でも特に名誉と名声がある人です。アカデミー賞をはじめ、数々の映画賞の受賞歴やノミネート歴があります。
「マルタの鷹」「黄金」「アフリカの女王」などが特に有名です。イーストウッドは「黄金」がお気に入りだったみたいです。
男らしく、型破りでスケールの大きい作風です。そしてジョン・ヒューストン本人も型破りな人物なんです。
才能あふれる映画監督であり、多くの映画をヒットさせました。作品第一主義の強いこだわりをもっています。そして少年のように好奇心が旺盛です。
熱中すると周りが見えない自己中心的な振る舞いをする人物でもありました。商業的大成功をおさめるため人は集まってきますが、みずからの映画芸術理念にこだわりすぎて関係者と衝突を起こしちゃうんです。
で、「アフリカの女王」の撮影では全編アフリカでの撮影ににこだわって、ロケ班全てをアフリカへ連れてこさせます。
しかしそうまでしておきながら、ヒューストン監督はなんと象を射止めることに夢中になっちゃうんです。なんだそりゃ。
撮影よりも象。象。象。撮影に手がつかなくなっちゃうのでした。これには主演女優のキャサリン・ヘプバーンもイラっときてて、のちに本で監督のことを非難しました。
とにかく象が撃ちたいねん!(監督談)
この事件をアフリカの撮影に同行していた「アフリカの女王」の脚本家、ピーター・ヴィアテルがのちに小説にしました。
それをイーストウッドが「おもしろい」と思い、自身がヒューストン監督役で映画化したんです。それがこの「ホワイトハンター・ブラックハート」です。
(監督でもある自分が監督役を演じるという挑戦的意味、野心もあったのでしょう。)
メタ構造というか入れ子構造というか。映画撮影にまつわる逸話を映画化してるわけです。ヒューストン監督は映画ではジョン・ウィルソン監督という名前です。
この脚本家も監督の親しい友人として物語に関与します。この二人の友情がストーリーの軸になってます。この要素がなかったら結構スカスカのだった映画かもしれません。
まあ、もとはこの脚本家が書いた小説なんでしょ?
脚本家はピーター・ヴィアテルがピート・ベリルという名前に変わってます。キャサリン・ヘプバーン役の女優もいますよ。
そうたしかに当時現場には、ハンフリー・ボガートやキャサリン・ヘプバーンもいたわけです。なぜそこまで象を撃つことにこだわったのでしょうか。
当然彼の身勝手で傲慢なふるまいは、出演者やスタッフから反感をかいます。こんなにお金をかけて(借金!)アフリカで集合してやる気あるのか!
(ただ結果から言えば、「アフリカの女王」は大傑作映画となり、商業的にも大成功しました。)
ウィルソン監督にとって映画はなにより大切で、本気で取り組むものでした。彼は芸術家でしたから。しかしそれにも増して、象を撃つことに対する執念も本気でした。
彼は明言できない内奥からの信念(美学)があり、そのなかで映画と象狩りとはそう離れていない事柄だったのです。
ウィルソン監督とすれば、これから偉大な傑作映画を製作するうえでの創造の神への捧げものという気持ちがあったのです。自分のはそのように思うのですが。
なるほど。
「ホワイトハンター・ブラックハート」。
この作品、イーストウッドの演技が素晴らしいです。あらためて役者としてのクリント・イーストウッドがもつ華というのを感じました。
このジョン・ウィルソン監督、とにかくアッパーなんです。むちゃくちゃ陽気で、しゃべりまくります。イーストウッドの演じるキャラとしては珍しいです。
なんかキラキラしてて。寡黙なイーストウッド像がくつがえります。話すのが好き。自分の意見を述べるのが好き。(そのため他人とぶつかることも。)
実は「運び屋」で演じたあの老人アール・ストーン役が一番近いです。印象としては二人とも、陽気で強気なスタンスなんです。
(ちなみに映画の結末のしんみりした結び方も、「運び屋」と一部通じるところがあります。)
この「ホワイトハンター・ブラックハート」(このタイトルの意味は悲劇的な結末とともに明らかに。)はまあ、男性的な映画です。
映画全体がマッチョな雰囲気です。社交場でのユーモアあふれるやり取り。豪奢な背景などはイーストウッドの大好物です。(今は違うかもしれませんが。)
実際、撮影していて楽しかったろうなというシーンがいっぱいあります。冒頭の草原を馬で駆けるシーン。武器屋でライフルやショットガンを品定めするシーン。
パーティー会場での決闘。撮影予定地コンゴまでのオンボロ飛行機での怖い移動。(これは同乗者ピートをビビらせるためのやらせだと後で明らかになります。)
撮影のために手に入れた老朽船。これが急流で壊れるんじゃないかということを確かめるために、みずからそれに乗り込んで急流を下ります。命知らずです。
作中でヘミングウェイのことを称揚するように、単純にスリルと冒険に惹かれる性分だったのですね。
イーストウッドの演じるジョン・ウィルソン監督は、女性に対しかなり不遜な態度をとることもあります。ふざけ屋で自慢屋で、でもどこか公正なところもあったんです。
これが罪作りになっちゃってるんです。こういうところがあるから、親しい友人たちは監督に譲歩してしまうのですね。
作中でウィルソン監督が本当に真剣だったのは象を射止めることへの情熱、そして最後に感じた恐怖でした。
象を撃たせなかったものはなんでしょうか。友人の脚本家ピートが象に対しい抱いていた畏敬を、ウィルソン監督も感じていたのでしょう。
まとめ:ジャック・N・グリーンの映像美の完成。
ジャック・N・グリーンによる撮影は、今作では映画の世界観とマッチしていて素晴らしいです。
90年の今作から「許されざる者」くらいまでがジャック・N・グリーンの映像美が一番映えた時期です。
2000年代以降のイーストウッド作品とは別の、かつての古い時のイーストウッド映画の映像美がここでいったん完成してるんですよね。
ちょうどこのころのテーマ性とうまくリンクした感じです。男性的で、内向的なテーマ。焼けた肌に流れる汗と血を象徴する映像美です。
以降、より人間関係が複雑になります。繊細で社会的なテーマになるにつれ、ジャック・N・グリーンの撮影の限界を迎えます。
伝説の映画監督を演じた伝説の映画監督。
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