エレファントカシマシ「偶成」と「遁世」。

エレファントカシマシ エレカシ
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カメ
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「生活」は名作と呼ばれるエレカシの4枚目のアルバムだよね。

自分が「生活」という作品を思うときはね、やっぱり「偶成」と「遁世」が収録されてるアルバムだって考えとるんよ。

こんなこというと浅いファンかよって思われてしまって、思われてかまわないんだけど、「遁世」はやっぱり途方もない作品だな、と思います。

「偶成」と「遁世」。

まず、比較していきましょう。どっちも弾き語りの曲なんだけど、「偶成」はアコギっていって、フォークギターで弾き語りをしてて、「遁世」は、珍しいんだけど、エレキギターで弾き語りしてるんね。

自分がすごいと思うのは、この「遁世」をエレキギターで語る曲として成立させているところなんよ。

この「エレキの弾き語り」っていうのが、なんだか引きこもってる人の象徴みたいなところがあるんよね。

こうフォークギターを弾きながら歌うとなると、やっぱり誰かに聴かせる形がちゃんとあるじゃん?

でもエレキギターはバンドサウンドをつくるものだから、例えばベースとかドラムとかがあって、でボーカルが歌を載せて、聴衆に聴かせるという形があるんよ。

ただ、ぼっち(友達がいない、バンドをやる仲間がいない一人ぼっちの人)って、実はエレキギターで弾き語りやるんよ。家とか部屋とかで。

エレキギターって弦を押さえるのが楽だから。

だからいかにもね、一人ぼっちで、一人引きこもってやってるやつの象徴で、ひいては社会性の無い人間、誰かに会う用の服を着もしない、布団から起きた寝間着で歌うスタイル⇒「エレキギターの弾き語り」なわけなんよ。

これもやっぱり、宮本浩次はこの「遁世」という曲の比喩として採用したんだと思うよね、このスタイルを。

アルバムの順番でいうと、「偶成」⇒「遁世」でした。

カメ
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「生活」の4曲目が「偶成」、5曲目が「遁世」になってるよ。

「生活」っていうアルバムって、あらためて見ると7曲しか収録されてないんよ。ただ長めの曲が多くて。「偶成」は7分超え。「遁世」は12分(!)超え。

カメ
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あと今回の記事もちょっと長くなるかもです。

「偶成」「遁世」この2曲が、「生活」のハイライトです。

では順番めちゃくちゃになってますが、「偶成」を見ていきます。

さあ、「偶成」なんですが、めっちゃ聴きやすいんよね。好きです。かなり歌の世界観は絶望的なんだけれど。メロディなんかはすごく甘いと思ってます。

むかしダウンタウンの松本人志が島田紳助と一緒に深夜「松紳」っていう番組をやってて、自分はよく見てたんだけど。

そのいつだったかの回で、好きな曲をお互い言い合うみたいな企画があって、フォークソングを取り上げてて、二人は話が合ってたんだよね。

「神田川」をスタジオで流して、イントロが流れてきたときに、松本さんが「暗い」って言うんですね、「絶望的じゃないですか」って。

で、紳助さんが「フォークソングは暗いで。」って言ったんよ。

「偶成」はフォークソングではないんだけど、スタイルはフォークソング的で、このいわゆるフォークソングの暗さもあって、それは歌詞、もっと言うと歌の主人公の状況が暗いんよね。

この曲の主人公をもしかしたらまだ売れてない、悩んでるころの宮本浩次自身と重ねがちなんだけど、それは置いといて、確かに暗くて、絶望的な曲なんです、「偶成」は。

これはただ、さっき言った、聴きやすい甘いメロディで、かつ絶望的なんです。これが、もしフォークソング的な、紳助さんのいう暗いフォークソングということだとすると、やっぱり曲調は甘いから、やっぱりジャンルとしては違うんだろうなって。

カメ
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しみじみとした、古い日本的な風景、日本文学の情景のひとつにありそうなイメージを「偶成」は音像として持ってるよね。

ただ、いつも思うんだけど、「偶成」って車とかで流しで聴いてると、何を歌ってる曲なのかが意外と掴みにくいんです。

「遁世」はわかり易いんよ。わかり易すぎるくらいなんですけども。

でも「偶成」は歌詞の一節一節、文章の言い回しはかっこいいんだけど、全体として何を歌ってるのか、わかりにくい。わかるまでにちょっと時間がかかったんよね。

それだけ微妙な心境を歌おうとしているんだと思います。さっき言ったように絶望的な状況を歌っているんで、たしかに「厭世観」が感じられます。

もうしんどいんだ、自分には力がないんだ、という・・・。

しかし「偶成」を聴くたびに、「生活」をつくっているときに浮かんだ何かしらのフレーズを寄せ集めて、なんとなく曲のストーリーっぽくなるように並べただけ、という気が実はしないでもなかったんよ。

こんなこというとファンの人にそんなわけないだろ、と言われそうだけど、メタレベルで見ると?そういう手法で狙ってやってる可能性もなくはないからね。

かなりあとに「めんどくせい」ていう曲を宮本浩次はつくっちゃうんです。これも、めんどくさい気分を歌ってるようなんだけど、曲のスタイルもけっこうぐちゃぐちゃで、すごいつかみにくい。

曲の構成自体を「めんどくさい」の象徴にしてるんじゃないの?宮本浩次は。と思ったから。

「偶成」という言葉を、ネットで調べてみたら、漢詩の中にあるみたいで、そこもやっぱりいかにも宮本浩次という気がしたんですが。

「偶然にできること」「ふとした思いつきでできるもの」という意味合いもあって。ああ、やっぱりメタレベルで見たら、宮本浩次そういう遊び心もあったんじゃないか、この曲はある程度、寄せ集めのフレーズで生み出すということにチャレンジしたんじゃないか、なんて思ってるんよ。

思い出す「シグナル」と「覚醒」。

自分はエレファントカシマシの音楽の中で、最も文学的に完成度が優れていて、詩の構成も完璧だ、と思うのが「シグナル」なんだけど。

「偶成」はある程度「シグナル」的な方向にこの時点で一度チャレンジしていたんじゃないかな、と思うんです。

結果的にそういう風になってる気がしてて。「シグナル」がただかっこいい言い回しだけを適当に寄せ集めただけ、といことじゃないんだけど、単に1番、2番、3番、みたいな発展の曲とは違ってるんよね。「シグナル」って歌詞のストーリーの視点がずれてるんです。途中で主体がずれている、というか。

ワープロで歌詞のストーリーを〈切り取り+貼り付け〉したみたいな、全く流れを変えてしまうような構成で生まれる効果を狙った、みたいな感じがあるんよね。

(ちょっと話がずれております。)

「偶成」で何言ってるのかわからないところがあったんよね。

宮本さんって、下町の生まれの人で、東京の下町の人って「さ行」と「は行」との発音が苦手とかいうらしいんだけど。

そのことと関係があるのか、はたまた宮本さんの用いる歌の語彙が普通とはちょっと違ってるからなのか、聴いててなんて言ってるのかわかりにくいときがたまにあるんですね。

「偶成」のここです。

「せいーかーつーで・に・す・い・と・ま・も・な・き・がままにー♪」

これはなんと言っとるんじゃ?

これは「生活手にす遑(いとま)も無きがままに」って言ってたんやね。わかってみればなんかそのままだったんだけど。

「手にする暇(ひま)も」だったらわかってたと思うんですが。

聴いててかえっておやっとインパクトがある語が「くるま」なんよ。「まーちにでずーればーくるまにーであーい♪」

「くるま」って。ここで「覚醒(オマエに言った)」(アルバム「俺の道」収録)に出てくる「車」を思い出したんよ。

「くるまがすぎてーおーれーをとーりーこーしーてーく♪」

というくだりがあったはず。これが面白くてですねー。

「覚醒」の「くるま」をふっと想起したのは全く偶然なんだけど。でも「覚醒」という曲もどこか文学的な空気があったと思う。

「覚醒」の主人公も部屋にいて、そこには〈本〉があって。例の「理解を超えた本」です。みんな覚えているんか。

で、これが「遁世」につながってくるんよ。「覚醒」によって13年くらいも時を越えて、「偶成」と「遁世」が同じイメージでくくられるわけ。

言い出したらきりがないけど、エレファントカシマシを聴いているとですね、同じパターンの、似通った心象に出会うことがある。

とくに「覚醒」はアルバムでの並びだと何曲か前に永井荷風という小説家の名前が出てくるし(「ラスト・ゲーム」)その次作アルバム「扉」では森鴎外が曲の題材として選ばれていて。

宮本浩次のですね、この時代の文学者、文豪、まあ知識人の。彼らへの尊敬というか傾倒が続いていて、繰り返されているのがわかります。

・・・

今回、ある程度「偶成」と「遁世」とを、比較して見ていくぞという目的があったんですが。なんかこの2曲、ペアな感じがするんよね。

アルバム「生活」では、他の曲は心構え、信条、意気込みみたいなものががなり声で歌われます。

それに対して、「偶成」「遁世」は視覚的な状況が特に際立ってる感じ。かなり特殊な状況。というか宮本浩次以外こういう状況を歌のモチーフにはしないなと思うんよ。普通見つけないよなと思います。

「遁世」はズバリ言います。引きこもりの歌です。

ただ「偶成」もそこまでいかないけど引きこもりに足を踏み入れとるんよね。だから2曲がアルバムの中でペアと感じられるというか。よく一緒に語られてる感じがします。

「偶成」でもい言いましたが「遁世」もこれまた厭世的な歌詞だけど、メロディーは逆にあたたかくて、素晴らしく聴きやすい、すごく美しいメロディーです。

「偶成」は歌詞にもでてくるけど「夕日」だから夕暮れなのね。もしくは雨さえ降ってるような曇った感じもちょっとあるんだけど。で「遁世」は昼の歌、こうひなびた、乾燥した感じがする。

カメ
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歌詞に「火鉢」が出てきたりして、冬の乾燥を感じます。

「遁世」は、この曲も弾き語りなんだけど、あまりの独特の世界観が見られるせいで、実質宮本浩次のソロ曲だ、なんてレビューも目にします。

でもベースやドラムも引き算的と言っていいくらいさり気なくは鳴ってて、実はすごい効果的にいい使われ方しとるんよね。

「偶成」でも歪んだエレキギターのサウンドがバックで鳴ってるところがあるんだけど、これもひたすら上手いなーと感じる、絶妙の入り方してるんよ。

だからこの2曲はちゃんとバンドの曲で。ライブとかで一人で弾き語りしちゃうとかなり物足りなくなるんじゃないかと思います。

自分、正直「遁世」を聴いたときの衝撃、これは忘れられないです。これからの生涯でもこれを聴いたときの衝撃を超えることってあるのかね・・・。だって、こんな曲ってある?

ただ、あえて言うけど、「偶成」「遁世」(というかEPIC時代の衝撃的な、唯一無二の楽曲たち)はね、ある意味「ギャグ」なんじゃないかなって。

(「珍奇男」のとあるパフォーマンス映像で、宮本浩次が感情こめて歌いながら、思わずぷって吹き出してしまう映像を見たことがあるのだが。自分でもオレ何歌ってるんだ?みたいな感じなんよ。)

でも、「ギャグ」たらしめているのは、この本当に圧倒的な楽曲の完成度なんです。

特に「生活」はハードコアな粗暴さみたいなのをもったアルバムで、雑さも含んでいるんだけど、粗削りな感じというのは微塵もないんよね。

そもそもエレファントカシマシの楽曲は粗削りさが全くないんよ。これは宮本浩次が完璧を求めるタイプだからかと思うんだけど。例えばまだ演奏面が未熟かなという時代でさえ、完成した楽曲に弱いところはないんよね。

だって確かに、「遁世」の世界観や歌詞の内容で、もし楽曲の完成度が低かったらば、聴く方はこの曲書いた人間は心配になると思うんよ。この人自殺でもしないだろうなって。

それくらい厭世的なんよ。内容が。曲としての構成や演奏や、アレンジとかが芸術作品として完璧(「遁世」は完璧な芸術作品です)でだから、ああ、これは作品であって遺書じゃないんだな、と安心するんやね。

だからこそ、なんであれ作品があまりにも完璧だとその完成度に対して笑ってしまうような、深いところでの理解に対する可笑しみ、みたいなのがあって、だからああこれは「ギャグ」なんだ、と思ってしまうと言いますか。

その悲痛なシャウトも完璧な狙いで、効果もすべて計算してやってるな、と分かるので聴けるわけ。「遁世」なんてそうとう推敲してつくり上げないと、最悪の作品になってただろうと思うからね。宮本浩次だけがこの楽曲を手に負えたんだと思いますね。

「偶成」も「遁世」もハッピーエンドでは終わってません。宮本浩次は歌の中の絶望的なこの状況を、少しでも良くしようなんてさらさら考えてないんよね。これがたしかにこの時の彼の美学だったんです。

「偶成」では結局ドブに映る夕日を見ることが生きてきた目的だと言ってますし、「遁世」も俺と一緒に寝て暮らそう、で終わりなんですよね。

ただ「偶成」で「ひとりベンチに腰かけて」といっていた男がずっと後、「シグナル」でもう一度「ベンチに座」ったときにはもう少しポジティブになってるもんね。

「いまわもう迷わずににいけるさ」とこう歌えるまでに15年くらいかかっとるわけです。

「生活」が1990年、「町を見下ろす丘」が2006年、15年以上すぎてここまで来ましたと。もちろんその間にポジティブ楽観的な曲も、ネガティブ厭世的な曲も、両方生まれてるんですけど。「偶成」と「シグナル」が鏡合わせになっているという感じを自分はよく考えるんですよね、妄想しとるんですね。

「遁世」は引きこもりの歌だって言われていて、今でいうニートとか、引きこもりとか、そういった問題をこの時代に歌ってたんだ、とかいう人もいるんだけど。

微妙にそういうのとは違うんじゃないか、と思います。

まずこの男、曲の主人公には妻がいます。そしてこの住んでる家も自分の持ち家か、ちゃんと自分が借りてる家、っていう感じなんよね。で、親がいるという感じもしない。

京極夏彦の百鬼夜行シリーズって大人気の小説のシリーズがあって、みんな知ってる人もいると思うんだけど、このシリーズに出てくる小説家の関口っていう男、このキャラクターをね、「遁世」を聴いたとき思い浮かべたんよね。

人が怖くて、社会が嫌で外に出れない、引きこもるんんだというのではなく、何か考えがあって世間というものに疲れてしまってやる気が出ない、という感じなんよ。

「遁世」の「誰か」。

それにしても、火鉢をあいだに「だれか」とする対話、やっぱりこの対話なんよ。このやり取りの内容と順番がですね、本当によく考えつくなと思うよね。

「きせいーちゅうにーやらーれーてるー♪」これは少し「珍奇男」を思い出すんだけど、働かないで家に居座って寝てばかりの自分のことをいってて、ここから対話が始まって、かなり長くやり取りが続いていく。

対話の中の宮本さんの語句の選択の仕方が、すごい絶妙なんだよね。

「女」は必要か?ってでもこの人、〈妻〉がいるはずじゃんね。もしかしたら、このやり取りが聴こえてるかもしれない。それで「ペットのよーうならー♪」と言うんです。ひどいですね。

で次にこの誰かに、車に乗って出かけないかと優しく言われます。この「くるま」で自分はちょっと世界観が崩れるような気がするんですね。なんか、もっと現代的な時代に連れてこられるような気がしちゃって。

で、それに対し、「布団で寝ていよう」。「布団」もね、宮本さん的ですね。普通ポップソングなら「ベッド」とか言いそうなのに、まあ曲の世界観が昭和の、昔の一般的な家庭だからね。

で、「テレビを見るとしようか」。この話してる「誰か」って優しいですね。すごいかまってくれるじゃん。もしかしたら、奥さんに頼まれてこの会話をしてるのかもしれない。

ところでこの「誰か」、これ、「遁世」のもう少し前の時点で一度「誰か」というのが出てきてるんですが、これって同じ人なんだろうか。

この主人公はですね、一人目の「誰か」になんでおまえは引きこもるんだ?と言われたときは「ひきつる笑顔をむけていた」わけよ。

で、今こうして対話している「誰か」とは、そうとう深い、正直なことを吐露しているんよね。「おまえはなぜに生きている?」このとき聴いてるとぞくぞくってしてきくるんだけど。この相手となっている「誰か」、二人目の「誰か」は、実は存在してないっていうパターンかい?というわけ。まあよくあるといえばよくあるかもだが。

引きこもってるやつに対してですね、お前はそもそもなんで生きてるんだよ、みたいなことは言う方も言われる方もきついわけでしょ?だからここは主人公の心の中の告白、叫びなんかも。

「遁世」を聴いていたら、後半はこの対話の形式なんだけど、歌詞カードを見るとね、かぎかっこ(「」)がつけられてて、だから会話なんだけど、聴いてたらずっとその「」がついた会話と思ってたのが、歌詞カードを見るとですね、途中から「」が無くなってるんよ。

このあたりも、やっぱりああ、この対話は実は自分自身とやってることなんじゃないか、と思わせられるところ。

途中、何が欲しいと聞かれてですね、夕日に浮かぶ富士の山と言うんですが、この間におかしなギター、めちゃめちゃ短いギターソロが入っとります。この音色がいかにも脳内ぐちゃぐちゃになってるような印象で、なんとか自分自身と向き合うことを頑張ってる感じ。

で、ここから少し行くとすごく優しい語句が出てくるんですね。「小さき花」「やさしい歌」というやつです。とても可愛い言葉だな、って思って。

「遁世」はすごいマジックが起こっててですね、宮本さんもここまでは計算してないと思うんだけど、すごい長い曲であることと、はじめからかなりがなり声で歌うところがある曲であることもあって、最後の方はけっこう声が疲れ果てとるんよ。

で、息切れしてきたときにちょうどさっきの「小さき花」「やさしい歌」というところを歌うんですが、だから聴いてたらまるで憑き物が落ちたかのような感じを受けるんですね。

でそのまま「金のために」「女のために」「人のために」となるんですが、ここは歌詞カードでは「」がついてないとこです。だからはっきり独白のとこなんです。

「人の」のとこで声音がちょっと変わってるのがニクいです。感情をこめざるを得ないとこなんでしょう。ささやき声みたいになってますね。ここほんと大好きです。

で、「それでおまえは」「それでおれは」ここなんですけど、自分はエレファントカシマシの曲の中で一番アレンジが凄いなと思うのは「遁世」のここからグワーッとオーケストラみたいにストリングスが入って盛り上がってくるとこなんよ。

えー、この曲ってそういう曲なの?!って思っちゃわなかった?であの宮本さんの「ららららららー♪」ですよ、これはもうたまりませんですね。

ここのとこって宮本さんが考えたのか、外部のアレンジする人が案を出したのかわからないんだけど、よく思いついたなーと思うよね。引きこもりの内容の歌で最後あそこまで壮大になるのかって。

「偶成」や「遁世」のレビューでよく宮本浩次は天才だとか言われてるんだけど、実際そうなんだけど、それもやっぱりこういう曲に手を付けて、アイデアにした、ってだけじゃなくて、その路線を見つけたと同時にそのまま突っ走って?この路線、ジャンルといってもいいですけど、これの完成形までものにしてしまったところが、みんな天才だと言ってしまうとこなんじゃないでしょうか。

「遁世」みたいな曲の二番煎じなんかだれもつくれないと思いますね。

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