恐いです。このアルバムのジャケットの宮本さん。
(じっさいこの頃、泣きたくなるようなショックなことが宮本さんに起きたのでした・・・。)
EMI時代、エレファントカシマシはとにかくクリエイティブに、自分たちが理想とする音楽を表現しようとしてました。
で、この「扉」っていう作品。(2004年発表の15thアルバム)
このときに、たぶんその創造性が極限に達したころじゃないでしょうか。
と同時に?あの長い旅路(EMI時代)の、折り返し地点です。
衝撃作「歴史」。
で、たぶん1曲目の「歴史」が?このアルバム「扉」を最も象徴してるんだけど。
森鴎外の歌。
シングル化されたのは2曲目「化ケモノ青年」だけど、この「歴史」のほうが代表曲?だね。
とにかく曲のインパクトがすごくて。文豪森鴎外のことを歌詞にしてます。
2曲目「化ケモノ青年」(このタイトルよ…)は個人的にめっちゃ見てた「松本紳助」のエンディングテーマでした。
2曲ともね、結構ね、渋い曲です。というか、このアルバム「扉」自体、渋い作品です。
まあアルバムの前半と後半で、だいぶ色合い(方向性)?は違うんだけど。
前作「俺の道」がね、結構ギャリギャリした歪んだ音の、攻撃的な感じの作品でした。
「扉」になるともっとソフトな音になってる。でもね、かっこいいのはこっちかも。
「扉の向こう」っていうドキュメンタリー映像がね、あって。その中で。
石森さんがエレキギターの音色を歪ませてたことを、宮本さんがけっこう怒るのね。
スットコドッコイ!
たぶん宮本さんはこのアルバムで意識的に?素朴な音で、こもったような音空間をつくろうと狙ってたんだね。
で、結果的にすごい微妙で、味わいのある、渋いアルバムになったんだけど。
この名曲を忘れちゃないよね。「地元の朝」。
じつはこのアルバムのハイライトは3曲目の「地元の朝」かも。
8分を超す長い曲で、ひとつのストーリーになってます。
暗くて、涙あり、メタレベルでは笑いどころ満載?のこの曲。
宮本さんは当時プライベートでどん底だったけど、こういう曲を生み出して、作品として客観視することで、自分で自分を救ったんだと思う。
すごい私たちみんなにとって身近で?どっかに存在してそうなのに、宮本さんにしか形にできない、そんなタイプの曲だと思う、うん。
ある種こういう曲も、クラシック音楽だよね。
後半の実験的な作品群。そして「イージー」。
じつは「扉」はアルバムの前半と後半で印象ががらりと変わります。
具体的には5曲目の「一万回目の旅のはじまり」からかな。
前半の楽曲はすごい完成度と古典的な美?を持ってて。
それに対して後半はなんか実験的な、奇妙で遊び心のある?作品が続きます。
その中で9曲目の「イージー」。
この曲はのちのEMI期の自選作品集にも収録されてるんだけど。
だからなんか特別な思い入れが?あったんだね。
「イージー」はスケールの大きい、伸びやかな曲で。
エレファントカシマシの曲って大抵もっときちんとした?コンパクトな構成をしてるんだけど。
「イージー」はその名の通り簡単に、あまり全体の構成や結末にとらわれないで、気ままに生まれた曲かも、うん。
(最近こそこういう?どんどん外に広がっていく曲多いんだけど。)
まとめ
前作「俺の道」に収録された「覚醒(オマエに言った)」の中で、宮本さんは「俺の青春は終わった」と歌いました。
で、この「扉」はまさにそのことをあらわしたように、渋い、上の世代を描いたような曲が多くて。
でもね、じつはこのモードがこれ以降のアルバムでも維持されたわけじゃありません。
宮本さんはある意味覚悟を決めて、このアルバムで大人への「扉」を開いたわけだけど。
(「扉の向こう」で先に?アルバムタイトルが「扉」って決めてたことに驚いたんだけど。)
やっぱりもう若者ではいられない、もう年であることを認めようとしても、逆に実際以上に年を取ることもできないわけで・・・。
次作「風」では、またがらりと世界観が変わります。
そして「風」を聴いた人ならわかるかもだけど、このあとエレカシはすごい感動的な変化をするんだよね。
じっさい「風」からは今のエレカシにそのまま通じる?
「新しさ」への、「メジャーなもの」への、抵抗のない受容が始まるんだよ。
そしてそれができたのも、このときここで、「扉」をつくってたからなのです。
だからそれを考えると、「扉」は、当時のどん底の?息苦しい環境で生み出された、ある種暗い作品にもかかわらず。
どこか可愛らしい作品にも感じます。
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