短編集「夏の雷鳴」の最初がこの話である。
相変わらず読んでて楽しくないストーリーである。
それを言ったら元も子もないんだよなぁ。ただ久しぶりにキングの短編集を読み返してみたが、「Everything’s Eventual」のころの作品よりこの「わるい夢たちのバザール」の作品群の方がすんなり読める感じはある。
一理ある。扱ってるテーマがより現代に近寄ってきている感じ。キング、さすがに時代に寄り添っておる。
ストーリーには暗さとやるせなさ、諦めにもにた雰囲気がまとわりついているが、これが今の時代を表しているんだよなぁ。悲しいなぁ。
・・・なお、はじめ読み始めるとあおり運転を題材にしているのか?と感じたが実際は違っていたのであった。
だがそのなんとなく受けた感じは大切かもしれないな。いま、ニュースでもあおり運転の事件とか映像とか見ることがあるけど。
嫌な気分になるから見ないのである。
ああいうことをやる心理というのが、そもそも一個の問題としてもっと前面に出てこないとダメなんだよなぁ。
乱暴に横入りしてきた車や、前を走るおそい車(しばしばその車はちゃんと法定速度なのである)に対して、アクセルを踏み、ハンドルを切ったのでは実はないのではないか?
ぐつぐつ泡立っているものがあるのかもしれないなぁ、今の時代の人の心の中には。その泡立っているものが、この短編の中にある気がする。
S・キング「ハーマン・ウォークはいまだ健在」。
ちなみに舞台となるのはメイン州。冒頭にニューヨークでのある交通事故のエピソードがあってやや困惑するが、ストーリー本編はメイン州での事件である。
メイン州の場所は上のアメリカの地図に示してある。
これは準備万端、なかなかである。
キングの作品レビューをするときがあったら、地図を載せたかったのだよ。どの辺が舞台かわかっておけるのは、ただでさえ多くの人名が出てきて注意力を奪われる外国の小説では助かるんだよねぇ。
一理ある。アメリカ本国の読者にとったら違うんだろうけどな。
冒頭でニューヨークでの交通事故のエピソードのことをいったけど、あれってキング自身による導入文であり、この「ハーマン・ウォークはいまだ健在」という作品の構成の重要な一部である。
そう、この作品は構成が重要なんだよなぁ。
閉塞感漂う虐げられた人々を描くのはキングの得意とするところであるが、登場人物ブレンダとジャスミンのこのやり取りである。読んでて辛くなるほどで、キングはこの詩情を極めつくしておる。
ブレンダとジャスミンは電話越しにポジティブにお互いを励まし合っているが、心情は絶望をまとった閉塞感につつまれているのであった。
・・・しかし、この作品はこの閉塞感からの解放を描いたストーリーにもなっておった。
文春文庫のこの単行本だと30ページちょいの長さのこのストーリー、異なる2つの状況を交互に対比させながら進んでいく模様。
交差する運命。
もう一つの筋というか状況というか、ある老人と老婆が登場する。フィルとポーリン。
この二人が詩人で、これでどことなく導入部の要素とつながって来るんだよな。
ハーマン・ウォークという作家の名前が出てくるからなぁ。なおこの人は現実の人だぞ。もう亡くなっているけれども。
これ状況は変わるけど、どことなく暗い、寂しい詩情が漂ってるんだよな。
うむ。わびしさがある。I-95という州道のサービスエリアでのエピソードだから、結末の予感も感じられておる。
またもや老いらくの恋なんだよなぁ。「グリーン・マイル」をちょっと思い出すが。
来たる結末。
中盤というかもう終わりにかけて、キングの想像力が覚醒しておる。キングはのってきたら一気呵成に書き上げるらしいが、まさに今作の中盤以降はそうだったんだろうな。
フォークナーのようにずらずらと途切れることなくブレンダの陰鬱な思考が続く。
・・・想像力に引き込まれて不謹慎にもワクワクしてしまう。
そして読者にとってもこうなれと思う結末になるんだよな。キングの狙いにまんまとやられてしまった模様。
これ作品の途中に詩が挿入されているが、もしかしたらこの詩の内容はブレンダとジャスミンの、今世では理解もできなかった世界線の象徴かもしれないなぁ。
単行本のあとがきで訳者の風間賢二氏がいってる「格差社会」という言葉でずばり、ああなるほど・・・と思ってしまうなぁ。
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