このアルバムが、EMI時代の最後のアルバムなんです。
このあとレコード会社(レーベルっていうの?)が変わると、環境が変わって?
エレカシの作品の世界観はまたがらりと変わるんだけど。
まさに過渡期にあったアルバムだよね。
今日は2006年に発表されたエレファントカシマシ17枚目(おお!)のアルバム。
「町を見下ろす丘」を見ていきますよ。
EMI時代の終わりと、次への成功の予感。
「good morning」から続く、あの奇跡としか思えない、他のどのバンドも比肩しえない創造力。
のちに自選作品集の「EMI胎動記」にあたる時代に、宮本さんは完全に人間を超えてて。
エレカシは本当にとんでもない作品群を産み出してきました。
「もうこれで、終わってもいい」的エネルギーを一枚のアルバムにつぎ込んで。
しかもその次のアルバムはまたそれを超えたものを出すっていう。
その連続。(作品発表のペースもすごかった・・・)
EMI時代を通して、とにかく創造の刃を研いで研いで、研ぎ続けて。
でもちょっと内省的で。そこまでセールスも?良くなかったと言われてます(うう・・・)。
のちに宮本さん自身「息も切らさず走り抜けた」と歌うその時代は、このEMIの時代だったのかな?
そうかも。
そしてついにエレカシは?ひとつのゴールといえるようなものにたどり着きます。
学生の頃、マラソンして、ゴールしてもしばらく歩けって言われるじゃん?
急に立ち止まったり倒れこんだら体に悪いから、とかで。
「町を見下ろす丘」はね、これ。
長いマラソンを走り終えて、ゴールにたどり着いた、でもまだちょっと歩かなきゃダメみたい。
ふう。
でも、とにかくやりとげたっていう間違いない気持ちと、息が落ちつくにつれて?周りが祝福の優しい光に包まれていることに気付く。
そういう感情が生んだアルバムであり、このアルバムがそういう感情を生んだ?
そして息が落ち着いたとき、いまや余裕をもって、成功を受け入れる準備が完了していたことに気付いて。
名曲「シグナル」の誕生
多くの人が「町を見下ろす丘」を名盤と言ってて。
でぇ、これは勝手な思い込みかもだけど、このアルバムを名盤というとき、むずかしい批評とかぬきに、もっとミーハーな理由があって。
ずばり超絶たる、かの名曲「シグナル」が収録されてるからだと思うんだよね。
なんなんだろう、これ。この、この名曲はよ。
ドラマチックな曲の構成と、グッとくるメロディー、あと詩、(プラス他のなにか?)
エレカシをカラオケで歌うとき、自分はキーを下げないと到底高音のところが出ないんだけど。
この曲はキーを下げると逆に出だしのところがこんどは低すぎるっていう・・・。
「シグナル」が好きっていうファンもすごい多くて。(「一番好き」とかね。)
なんとなく「町を見下ろす丘」を思い返すと、ああ「シグナル」が収録されてるんだよなぁ・・・って。
それくらいこのアルバムを象徴する曲です。
また、エレカシのアルバムはたいてい、その前のアルバムを思い出させるような曲と、その次のアルバムを予感させるような曲が入ってて。
「町を見下ろす丘」のたとえば「すまねぇ魂」「雨の日に…」とかは「風」の作品群の世界観に近いし?
でも「シグナル」は前作の「風」とも次の「STARTING OVER」ともつながってない、このときにだけ生まれたような曲で。
あえて言えば、もっともっと後の、「RAINBOW」とかに近いのか?いや、違うか・・・。
(「愛すべき今日」は「シグナル」っぽいとも言われてたっけ、うん?)
あと、「町を見下ろす丘」は有名な佐久間正英さんがプロデュースしてるんだけど。
(佐久間正英さんは残念ながら2014年に亡くなられました。)
佐久間さんは「今宵の月のように」の頃もエレカシをプロデュースしてたんです。
でね、「シグナル」の最後のサビで、「今宵の月」って言葉がふたたび出てくるんだよ。
だから勝手な妄想だけど、「町を見下ろす丘」でふたたび佐久間さんのプロデュースがしてて、生まれたこの「シグナル」で「今宵の月」と歌うときに?
もう一度「今宵の月のように」の時みたいに、エレファントカシマシがメジャーに売れるようにおまじないがかけられてるような気がして、感動しちゃうんだよね。
おお、「シグナル」よ・・・。
「なぜだか、俺は禱ってゐた。」
「町を見下ろす丘」の最後をしめる、つまりEMI時代の最後をしめる曲。おお!
「なぜだか、俺は禱ってゐた。」です。
・・・?
ナゼダカ、オレハイノッテイタ!
読めた!「いのっていた。」宮本さんは旧仮名遣いで歌詞を書くんだよね。
最後にふさわしい、感動的な曲です。
というか、個人的に「エレファントカシマシオールタイムベスト10!」みたいなのを選曲するとしたら、間違いなくこの曲をね、入れると思うんだよ。
なんでしょう、なんでしょう、この泣ける曲は。
(イントロのジャンジャンかき鳴らすギターの音だけで泣きそうになるんだけど。)
歌詞を聴いても、あらためて、宮本さんが日本語をすごいかっこよく使うっていうのが分かる。
「町を見下ろす丘」全体がまあそうなんだけど、すごい歌詞の言葉に無理がなくて、素朴なんだよね。
もうこの頃くらいからぜんぜん虚栄がない・・・。えぐいくらい?センスがいいんだよね。
(すごいメジャーになってても、あえて驚かすような歌詞をかいたり、そんなことするアーティストもいるけど・・・。)
宮本さんのこの自然体で想いを吐露するような?どストレートな歌詞を聴くとね、自分の中で歪んだ日本語がきっちりリセットされる気がするんだよね。
で、じつは「町を見下ろす丘」は、演奏にもこういう虚栄がなくて。
つまり、聴いててしんどくなるようなテクニカルなプレイとかはないんだよね。
これはエレファントカシマシのいいところで、もともと洋楽の古典的なロックのいちばんセンスのいい要素を受け継いでるんだと思う。
(もちろんメンバーはプロフェッショナルな演奏技術はもってるんだけど。)
ナゼダカ、オレハイノッテイタァァァ!
ごめん、そう、この奇妙なタイトルの曲。
どうやったらこういう曲ができるんだろうか。一個のアルバムで何回奇跡起こすんだよっていう。
たまらなく愛しい気持ちになる、切ない、ファンにとって大切な曲だね。
声がちょっとかすれてるんだけど(声が裏返るところは意図的だろうけど)、それが余計にこの曲にあってて、感動的なんだよね。
U2の「ONE」とかもさ、たぶんレコーディングでボロボロになってか?ボノもかすれ声で歌ってるんだけど、それが曲に合ってて、それ込みで名曲になってると思うんだけど。
「なぜだか、俺は禱ってゐた。」 も、そういう一回きりの奇跡のレコーディングみたいなのかも。
まとめ
暗い、諦観にもとれる歌詞を水晶のような淡い光でつつんで閉じ込めたような。
そういう特徴を「町を見下ろす丘」は持ってて。
バンドサウンドもそれほどエッジは立ってなくて、ドラムの音も意図的にこもったような?ソフトな印象です。
これはアルバムジャケットの、カラスとそれをつつむ光に重ねることができるかもしれません。
カラス=暗い歌詞?(これは黒づくめの衣装をきた宮本さんなのかもしれないけど。)
このアルバムを最後に、エレファントカシマシはユニバーサルミュージックという会社に移籍?します。
EMI時代はいわば水泳でいう長い長い潜水みたいなもので、ずーっと潜ってたんだよ。
でも、この潜水にはもうムチャクチャ価値があったんだよね。
そして、いわば創造と独創性の刃を研いで研いで、もう何があろうと錆びつかない、だから自然体でも怖がらずにいられる。(潜水が一番速く遠くまでいけるもんね)
そんな余裕も手に入れたような感覚なんだよね。
それは「風」だけじゃまだもうちょっとだけ足りなかったんだよ。
走りぬいてゴールして、歩いたときに完成した。
これからはだから、きらびやかな鞘をつくるときです。
(「町を見下ろす丘」もエレファントカシマシ流の「鞘」はある程度できてるんだけど。)
エレファントカシマシの浮上が始まります。
・・・
今日はエレファントカシマシの大好きなアルバム「町を見下ろす丘」を、「シグナル」「なぜだか、俺は禱ってゐた。」の2曲を通して振り返ってみました。
ちなみにこのアルバム内でこの2曲にだけ、「町を見下ろす丘」「(丘の上にのぼって)見下ろす町」というワードが出てくるんだよね・・・。
ではまた。
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