エドガー・アラン・ポーの「マリー・ロジェの謎」で、人が、一人である場所(けっきょく確かそこが殺害現場だったかな)に戻ることができない、そこにあった恐怖について書かれていたかな?
だいぶ前に読んでけっこうあやふやなんだが、「マリー・ロジェの謎」でそういうくだりがあった。
それでそこがやけに怖かったのであった。デュパンものの中ではもしかしたら評価が低い「マリー・ロジェの謎」だけど、自分は一番好きである。
そしてその理由もそのくだりがやけに怖かったからなのだ。
このスティーヴン・キングの短編「N」であるが、ある特定の場所が怖い、という点でこの「マリー・ロジェの謎」のこのくだりを思い出したのであった。
スティーヴン・キング短編「N」。
この「N」は「夜がはじまるとき」という短編集に収録されている。90ページほどでそこそこ長いが、構成が面白いから止まらず読んでしまった。
「マリー・ロジェの謎」があの場所になんか絶対戻りたくない、という心理だったのに対し、「N」はあの場所に戻りたくて仕方がない、ということなんだろうな。
どちらも恐怖を感じるがゆえにである。そこが面白い。「N」ではそれがだから強迫観念なんだな。
これラブクラフトのクトゥルー神話と関連させるレビューもあり、まあそうなんだろうけど、それはそれ。
ラブクラフトはちょっとは読んだのではあるが。
それよりもこの「目」が現れたという描写が肝なんだと思う。
ある隔絶された、あまり知られていないような自然の場所。そこに自分一人っきりでいるときに恐怖感があるというのはわかる。
このとき、「見られている」という感覚があるんだよな。
これはだれでもいい、そこに知り合いでもなんでも、もう一人いたならば感じない恐怖なんだよな。
部屋で一人で怖い小説とか読んでるときも感じたりする。本を置いて外の廊下に出たときとかになんか怖い。見られてるような気がする。
推理小説読んでるときとかでもたまにあったりする。
これをずばり「目の具現」としたのはキング、やっぱり漠然と「見られる」その観念を感じてたんだろうか。
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