今日はドン・シーゲルについて見ていくよ。
イーストウッドにとって重要な人物だよね。
うむ。「ダーティーハリー」を撮った監督だな。
この人と組んでたときにイーストウッド自身も監督業を始めているよ。
ドン・シーゲルとクリント・イーストウッド。
ドン・シーゲル(ドナルド・シーゲル)1912年10月26日生まれ、1991年4月20日没。
1930年ごろには映画の世界で働きだし、そこそこ逸話ももつ男である。
B級ながらも男らしい硬派でバイオレンスな作風を得意とする映画監督である。
なお実際は意外にひょうきんな風貌をしている模様。
ええやないか。すごい人なんやぞ。
イーストウッドとは主に1970年代に一緒に映画作りをしていました。シーゲルが監督、イーストウッドが主演。
うむ。正確には1968年の「マンハッタン無宿」でこのコンビ「シーゲル=イーストウッド」がスタートしておる。
イーストウッドが気に入ったのはシーゲルの無駄のない作風。効率の良い製作技術。
それはイーストウッドの監督業にも活かされているな。
撮影中にトラブルがあってもすぐに代替案を出して、撮影をストップさせずドンドンドンドン完成させていきました。
ふむ。その辺はこだわりの強かったレオーネ監督とは違うのか。レオーネ監督は芸術家、ドン・シーゲル監督は仕事人という印象かな?
ドン・シーゲルとクリント・イーストウッドが組んで作った作品は以下の6作品。
「マンハッタン無宿(68)」「真昼の死闘(70)」「白い肌の異常な夜(71)」「恐怖のメロディ(71)」「ダーティーハリー(71)」「アルカトラズからの脱出(79)」。
これだけかなぁ。意外と少ないかぁ?これならば一応全部視ているぞ。
71年が精力的すぎるだろこれ。
「ダーティーハリー」シリーズはすべてドン・シーゲル監督だと思っていたけど、そうじゃないんだなぁ。
うむ。実際は1作目だけなんだな担当したのは。まあ「ダーティーハリー」=ドン・シーゲル監督というイメージは解らないでもない。
それだけ1作目が良かったんだよなぁ。
なお、イーストウッドのもみあげも全盛時代である模様。
ずああ。たしかにイーストウッドにしてはあんまりルックスよろしくないかもだけど。そういう流行りだったんだ言わないでおくぞ。
なお、「恐怖のメロディ」はイーストウッドの初監督作品で、ドン・シーゲルは脇役として出演してくれている。
むむむ。そういう関係性はいいなぁ。
確かに。ただ「ダーティーハリー」の大成功はあったものの、その後少し距離が出来てしまって、「アルカトラズからの脱出」では最終的にイーストウッドがシーゲルから監督の座を奪って完成させたらしい。
そうなのかぁ。ちょっと悲しいなぁ。
まあイーストウッドも「荒野のストレンジャー」とか「アウトロー」とか、野心作にチャレンジしてるうちに監督としてのこだわりができていったんだろうなぁ。
こうみるとイーストウッドと一緒の時でさえ、いろんなタイプの作品を撮っておる。
うむ。作品の題材がまったく変化しているな。そうして新たなジャンルを作り出し、そのテーマで古典的な作品にしてしまっているのもすごいなこれ。
またドン・シーゲル=イーストウッドの個々の作品も記事にできたらなぁと考えております。
それにせっかくだからイーストウッドと組むまでのシーゲルの作品もいくつか見ておきたいんだよなぁ。
確かに。なおそれを見ずに記事を書いてしまっている模様。
捧げられた「許されざる者」。
今、「許されざる者」のエンディングでの「DEDICATED TO SERGIO AND DON(セルジオとドンに捧ぐ)」を見ています。
これは有名だな。
「許されざる者」はイーストウッド自身、後年あなたの代表作は?と訊かれたら「許されざる者」と答えることになるだろうと、もう撮影しながら感じていたらしい。
マジかぁ。熱いエピソードだなそれ。
「許されざる者」は結果的に大成功したが、編集でこの文言「セルジオとドンに捧ぐ」を入れようとしたとき、どういう気持ちだったんだろうか。
自分がこの2人によって有名になれた、スターになれたというのはあるんだろうなぁ。
「許されざる者」は西部劇で、暴力もテーマに含んでいるが、レオーネ監督やドン・シーゲル監督らの作風とは全然異なっておる。
世界観はいっしょでも、登場人物のタッチと見終わったときの心境がかなり違うという感じを受けました。
じゃあ逆に言えば、それこそがイーストウッドの純粋な作風ということなのかな?
もちろん感謝の気持ちもあったんだろうけど、この2人の名前を映画の最後に入れたということはそうとう「許されざる者」を撮った監督としての自負もあったんだろうなこれ。
その時点では「許されざる者」でアカデミー賞を獲ることも、アカデミー賞監督になることもわかってないものなぁ。
熱いよなぁ。
コメント